国産材を使った木造住宅について
自然乾燥と人工乾燥について
林業の歴史から考えてみたいと思います。
トップの写真は、戦後植えられて、50年くらいの歳月を経た桧正角材(土台)の木口の写真です。
今回の耐震補強を兼ねた全面リフォーム工事の土台として採用しました。
産地は奈良県吉野川上村の材で、断面の全てが赤身材です。
後の写真でも実証されているように、木の中心の芯材は、シロアリが入り込みにくい部分です。
年輪も細かく、周囲均等に成長しているのが吉野地方の、造林技術の真髄です。
1945年8月、太平洋戦争に敗れた日本は、都市部はその大部分を破壊され、無残な状態になりました。
そして、大陸からの引き揚げてこられた人の話では、祖国に戻る船のデッキから観る十数年ぶりの
祖国日本列島は、はるかかなた、海に浮かぶ、
緑に包まれた自然いっぱいのきれいな島の姿が目に映ったそうです。
しかし、街は破壊され、山間部も、戦時の大量供給で、スカスカというか?伐り尽くされた山が残っていたそうです。
多くの国民は、街は破壊されたものの、故郷の山河の自然に触れ、
即ち、「国敗れて山河あり」を実感されたのではないでしょうか。?
「そうだ!木を植えよう、そうして国力を回復して復興しよう。」国民の多くはそう思ったのでしょう?
そして、引き上げ者の住処となった農村部開拓者村では、農地にまで、杉が植えられ、現代に至っています。
理由は、杉の方が桧より早く成長してお金になるといわれています。
とはいっても、桧も植樹はされています。
あれから、70年近い歳月が流れ、木は成長はしたものの、木造離れ、輸入木材の促進政策、
生活の洋風化、コンクリートの団地政策、等々で、
日本の国産材は、陽の目を見ないで、今日を迎えているのではないでしょうか?
昔は間伐材も、農業用、建築用の足場丸太と、需要があり、山林労働者の手間代は出ていたようですが。
その需要が激減し、山の管理もままならない時代になってきました。
それゆえに、昔なら、庶民の建築資材では手に入らないような材が、
現代は使えるようになりました。
写真は昭和40年ごろの木造住宅に使われ、蟻害にあった土台の桧です。
良く観ていただきたいのですが、元は角材の中心の赤味の部分はシロアリは食していません。
シロアリが食したのは、周りの白太の部分のみです。
さて、今回の築40数年の既存住宅に使われてあった土台の木は、間伐材の樹齢の若い桧です。
今なら使わないような木で、間伐後は、山に切り捨てられる材です。
40年前の建築当時は、今回使った50年生の桧材を土台に使うなど、もったいなく、高くて手が出なかったのでしょうね。
それに加えて、大工工事の手抜きと、未熟な仕事が重なって、すっかりシロアリに食されてしまったと思います。
これは、外した土台を検証した写真です。
ご覧の通り、細い中心部が赤身部分で、周辺の白太は食い尽くされていました。
もちろん外壁からの雨漏りとかで、
壁の中にある土台は、いつもジュクジュクと濡れていたことが最大の原因ですが、
中心の赤身の部分が残っていたとは ・・・・・・・・ すごいですね。!!
ちなみに今回使用した材木は人工乾燥ではなく自然乾燥材を使っています。
なぜなら、人工乾燥では木の内部にある樹液まで無理やり引き出して乾燥させてしまい、外敵に対抗する
など、本来の木の内部にある樹液成分がなくなってしまうからです。
あなたは、シロアリ駆除剤の薬品代と写真のような総赤味の材料とどちらにコストを掛けられますか?
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